神は存在するか?


「神は存在するか?」という問いに、現代人の多くは否定するだろう。
また、肯定する人から詳細に聞いても「鰯の頭も信心から」という信仰が多い。

宗教は造られたものだと言ってしまえば、キリスト教の旧約聖書も正にその通りだ。
旧約聖書は、バビロニア捕囚から解放された後に、戦勝国ペルシャによるユダヤ支配のためにネヘミアやエズラによって作成された律法である。
一方、新約聖書にしてもユダヤ教改革派イエスの著書ではなく後世の人たちが編纂したものだ。
そして、キリスト教の新約聖書に従い皇帝の権威は神によって立てられたものだとして、皇帝の継承を目的に三身一体のアタナシウス派(カトリック)を正統派と見なした。

旧・新約聖書は同一神だから、旧約聖書(出エジプト記3章14節)に記されたように「モーゼがヤハウェから受けた言葉:我は有りて、在るものなり」で姿・形はない。
カトリック教会のイエス像、マリア像などは、旧約聖書(出エジプト記24章4〜5節)の「あなたはいかなる像も造ってはならない。 ……あなたはそれらに向かってひれ伏したり、それらに仕えたりしてはならない」という掟から離れてしまっている。

プロテスタントにしても聖書中心主義のため簡単な十字架の印を教会に置いているだけであるが、人前で長々と自分の思いを祈りイエスの教えとは離れている。(マタイ6章5〜6節)
どちらの教派も長い歴史の中を生きてきたものなので、今更変えることはできないだろう。

元々、宇宙には水素とヘリウム元素しか存在しなかったものが、超新星の爆発で炭素や酸素などを含んだ塵やガスができた。そして、その残骸が惑星の材料となり、地球が生まれ、その地球から生まれたものが私たちである。こう考えると、創世記2章7節には「 主なる神は、土の塵で人を形づくり、その鼻に命の息を吹き入れられた。人はこうして生きる者となった。」と記述されている。
そして、人を構成するものは、宇宙の塵だから創世記3章19節にあるように 「お前は顔に汗を流してパンを得る/土に返るときまで。お前がそこから取られた土に。塵にすぎないお前は塵に返る。」として死後土に帰る。

シスターで臨死体験された鈴木秀子さんの著書のなかに「我々は神の母胎の一部である」という主旨の内容がある。私は、この感覚を「内なる神」と捉えている。

「神は存在するか?」への解である。つまり、宇宙を神と捉えることにより神の存在を感じることができる。神の摂理というものは、「存在する使命が不要になったものは『自らに内在する神の遺伝子』に従い土に返る」のだろう。